




お知らせ
今年の報恩講(10月12日19時~・13日13時30分~)の法座は、住職の法話と落語家桂吉坊師の新作落語「灯人懈慢白蝋燭(ともしびとけまんのみあかり)」で法楽を楽しんでいただきます。門信徒の皆様には近日中に参詣のご案内を発送いたします。門信徒以外の方もご来聴いただけます。事前予約が必要となります。
詳細については下記リンクの願泉寺FBページを御覧ください。2025.8.27
https://www.facebook.com/Gansenji2021
住職が代表理事を務める一般社団法人雅楽協会が高槻市と「包括連携協定」を締結しました。詳細は願繊維FBページを御覧ください。2025.8.30
9月3日(水)18:30より、東京銀座の GINZA SIX の観世能楽堂にて催される「現代の匠たち」に、住職がトーク登壇者として参加致します。一般社団法人雅楽協会代表理事として、雅楽界の課題や未来について、雅楽界の「夢」についてお話することになると思います。第二部では、茂山七五三様、茂山逸平様の狂言、女人舞楽原笙会と伶楽舎による復曲「玉樹後庭花」の公演もございます。首都圏にお住みの願泉寺ゆかりの皆様、是非ご来場ください。詳細は下記リンクでご確認ください。2025.8.12
願泉寺について
願泉寺(がんせんじ)の創建は飛鳥時代に遡ります。小野妹子の八男、多嘉麿が四天王寺建立に携り、その功績で聖徳太子から土地を賜わったのが願泉寺の始まりです。平安時代には天台宗に帰属し、室町以降は浄土真宗の蓮如上人に帰依し、現在は浄土真宗本願寺派に属し、お念仏(南無阿弥陀仏)が響くお寺です。
お太子様の時代以来、浪速の地で仏様の教えを伝え続けて1400年。雅楽や茶道など諸伝統芸能とのゆかりも深く、歴史の深みを感じることのできる空間です。永代墓はじめお弔いの施設を設置し、人生の悩み、仏事・葬儀のご相談にも乗らせていただいています。また大阪府の名勝庭園に指定されている庭園で都会の中にいながら世俗の喧騒を忘れることができます。

日下山第四十四世住職の小野真龍と申します。当寺の創建に関わられた聖徳太子様は、お釈迦様の教えの根底にどんな人であってもすべての人を救いたいという大いなる慈悲を見ておられたと私は考えています。また、自分を含めてすべての人は愚かな凡夫であるという自覚をももっておられました。お太子様を尊敬してやまなかった親鸞聖人の教えの本質も同じところにあると思います。
現代においても皆様の宗教意識に寄り添って、人生の悩み、仏事、墓地のご相談を受けていきたいと考えています。
住職 小野真龍
1965年生まれ。京都大学で法学・哲学・宗教学を学び文学博士。哲学、仏教に関する論文多数。相愛大学准教授を務めたのち関西大学客員教授。
四天王寺の雅楽の伝統を守る一般社団法人雅亮会(天王寺楽所雅亮会)に属する雅楽演奏家。代表理事 理事長。2023年に一般社団法人雅楽協会代表理事に就任し、雅楽界の発展にも尽力している。
著書に『ハイデッガー研究』(京都大学出版会)、『雅楽のコスモロジー』(法藏館)、『天王寺舞楽』(法藏館)
葬儀・法要
逮夜参り、お盆参り、お彼岸のお参り、祥月命日のお参り、新墓地の建碑式、納骨勤行、お仏壇に関わる各種の法要など各種の仏事を行っております。門信徒以外の方でも葬儀や年忌法要、仏事一般のご相談をお受けしております。
葬儀は故人にとって人生最期の儀礼を通じたお別れの対話。残された方にとってはその意味を噛みしめ、悲しみを共有して、故人に感謝しつつ乗り越えていくための大切なプロセスです。
年忌法要は、命日に故人を追慕するとともに仏様のみ教えから死の意味を捉え直す人生の通過儀礼です。最近は安易な葬儀式の普及によって簡略化が進んでいます。しかし願泉寺では儀式の意味を浄土真宗のみ教えの視点からお伝えして、人生の通過点をきちんと乗り越えていけるようお手伝いします。
お布施や経費に関して気軽にご相談ください。ご依頼者の状況に応じて行えるように工夫いたします。
お墓のご相談
門信徒以外の方にも墓地のご相談を受け付けています。
墓地の他、納骨壇「あおい壇」、永代墓「あおい廟」を設えており、様々な納骨方法をお選びいただけます。

墓地
ご寄進額については区画の大きさなどによってご相談に応じます。大阪市内の墓地貸与の平均最低寄進額は150万円。

あおい廟(永代墓)
墓地中央にある合同永代墓。
納骨された方のお名前などを掲げるプレートを設置できます。年に2回、勤行を行います。墓じまいの後のご納骨はもちろん、ご葬儀後の初めてのご納骨にもご利用していただけます。
門信徒の方はご寄進額40万円、納骨を機に新規の門信徒となられる方は45万円、いずれもプレート代込み。

あおい堂(納骨堂)
本堂地下にある納骨堂。天候にかかわらずお参りしておいただけます。後継者がいなくなれば願泉寺が責任をもって、あおい廟(永代墓)へ納骨致します。
寄進額100万円(「あおい廟」への収骨分40万円を含む)
お庭・お茶室
願泉寺には大阪府名勝指定の庭園があります。寛永年間(1624-1644)の火災の後、江戸時代の正徳年間(1711-1716)に京都の庭師で あった正阿弥によって整えられ、室町時代の絵師の相阿弥の構想に由縁があるとの伝承もあります。この庭園は元来、客殿や茶室から眺めて楽しむものとして整えられました。 当寺の第三十一代住職定龍は、織田信長の石山本願寺攻めの際には木津砦や天王寺砦の守将を務めた武人でもありましたが、他面風雅を解した人で武野紹鴎や千利休とも親交があり、茶道にも精通していました。伊達政宗も定龍の茶の弟子となり帰国に際して大坂の伊達邸の客殿(蔽芾堂)と茶席(泰慶堂)を定龍に贈りました。この伊達政宗寄贈の客殿と茶席は、昭和12年に国宝建造物に指定され、また同年に庭園も名勝に指定されました。その大阪の名所となった茶室に好事家たちが詰めかけましたが昭和20年の大阪大空襲で惜しくも焼亡しました。 その後、庭園にはながらく茶室を欠いていましたが、平成16年に官休庵職分木津聿斎宗詮の設計になる茶室「相應庵」を西宮の茶人の私邸から当寺に移築して現在の趣きになっております。庭園も昭和四十六年に大阪府名勝庭園に再指定されました。 現在毎週土曜日午後に住職の妹がお茶の教室(武者小路千家)を開いています。気軽にお問い合せください。 庭園は自由に拝観していただけます。インターホンで一言お声がけください。
雅楽伝承
当寺には「天王寺楽所 雅亮会」事務所が置かれています。聖徳太子が設置したといわれ、古代より日本の雅楽伝統の中心の一つである「天王寺楽所」を明治以降引き継いだのが「雅亮会」。当寺の第41代住職だった小野樟蔭(経龍)が初代会長を務めました。それ以来4代にわたって願泉寺の住職がこの団体の長を務め、現住職が理事長を務めており、重要無形民俗文化財に指定されている「天王寺舞楽」の伝承に尽力しています。 大阪府は歴史のある土地柄であるにもかかわらず、重要無形民俗文化財は二件しかありません。その1つが「聖霊会の舞楽(天王寺舞楽)」です。毎年4月22日に行われる、四天王寺にとって最重要で最大の行事である「聖霊会」は、日本仏教の礎を築いた聖徳太子の御霊をおなぐさめする法要です。平安時代以来、舞楽法要という形態で執行されています。雅楽や舞楽が、僧侶の声明にさしはさまれる法要で、現在は6時間ほどかけて行われています。聖霊会での雅楽演奏を担当し、独自の舞態を持つ文化財である天王寺舞楽を伝承する「天王寺楽所雅亮会(一般社団法人雅亮会)」の事務所が願泉寺に置かれています。 明治維新によって聖霊会をささえてきた「天王寺楽所」はいったん解消され、聖霊会も途絶しました。しかし大阪の名物となっていた聖霊会の舞楽が絶えることを惜しんだ民間人が明治17年に「雅亮会」を結成し、聖霊会を復興させ天王寺舞楽を継承しました。明治26年に組織化されたときに初代会長となったのが願泉寺第41代住職の小野経龍(樟蔭)でした。それ以来雅亮会の事務所は願泉寺におかれ、願泉寺住職が代々雅亮会の中心的人物となる立場となりました。樟蔭の子息、第42代住職攝龍は雅亮会初代楽頭となり、その子息、第43代住職功龍は二代目楽頭となり、芸術院恩賜賞、芸術院賞を受賞しています。現在は一般社団法人雅亮会となって、法人格を取得し、現住職が代表理事理事長を務めています。 雅亮会は四天王寺様から「天王寺楽所」の商標を使用することを許され、演奏団体としては「天王寺楽所雅亮会」と名乗っています。